Contents
- 1 見た目や年齢と行動の自閉症児の行動のギャップ
- 2 障害があるようには見えないよね…
- 3 親が他人や周囲の視線を気にしないようになるには?
- 4 他の普通の子と比較しているのは発達障害の当事者ではなく親や周囲の大人
- 5 情報ばっかりで頭でっかちにならないように
- 6 ちょっとの成長を家族が見逃さないようにしたい
- 7 ほんの少しの成長でも気が付けるようになりたい
- 8 難しい?同じ自閉症児に会った時の親への話しかけ方
- 9 隠しても周りにはバレている?
- 10 発達障害なの?自閉症なの?娘の障害の説明がややこしい…
- 11 自閉症スペクトラムを隠さずに伝えた方が良い場面もある?
- 12 自分の子の障害の特性を誰かに説明すること
- 13 敢えて他人には障害を隠さずに伝えたほうが良い場面がある
見た目や年齢と行動の自閉症児の行動のギャップ
7歳になった娘は相変わらず、どこに行っても誰よりも元気に飛び回っている。
誰よりも一番高い所に登ろうとするし、水に濡れることなど嫌がらず、むしろ自分から入っていく。
当然、それは娘が自閉症スペクトラムであることを知らない人からすれば違和感でしかない。
世間一般的な7歳の女の子のほとんどはそういう遊び方をしないのだ。
だからと言って、中身は3歳にも満たない娘が今までやって来た大好きな行動を全てやめることなんて無理である。
年齢が上がってくるにつれて娘の幼い行動は、これから更に目立ち、世の中的には奇妙で可笑しく映るのだろう。
今の所、本人はそういう視線は全く気にしていないし、気が付いてもいない。
これからも、周囲の視線が気になって、今までやって来た大好きな遊びを辞めることなんてないであろう。
同じくらいの歳の子どもが、怪訝そうな顔で「なんだあの子?」「何あれ?変なの」と言ったとしても、娘は返答はできない。
完全に無視をして遊び続けると思う。
ただ、注意しなくてはいけないのは内容はわかっていなくても、嫌なことを言われていたり、文句を言われているのは、聞こえているし、敏感に感じていると思う。
気をつけなくてはいけないのは、小さい子と接触したりしない様にしたり、順番を守ったり、遊具やオモチャを譲ってあげれる様に、親が近くで見守ってあげることだ。
そうすることで、少しでも自閉症スペクトラムの娘が気持ちよく遊ぶことができるのであれば、もうしばらくは付きっきりで一緒に居なくては。
お陰で、年々、日焼けが蓄積して黒くなっている気がする…
障害があるようには見えないよね…
良くも悪くも娘はパッと見では自閉症スペクトラムがある様には知らなければ、多分、見えません。
実際に障害児には見えないと言われることもありますし、初めて会って説明をすると驚かれることや謝られることもあります。
「障害があるように見えないね」と言うセリフに対して何て返すのが正解なんだろう?と考えたこともあります。
けして相手に誤解を生まないようなお互いに損をしない言葉はないのだろうか?
相手がどの様な気待ちでそれを言っているのかにもよるけれど…気を使ってなのか?本心なのか?特に何も考えたないのか?どのパターンもきっとあります。
今は説明するのは、謝って欲しいわけでも特別扱いして欲しいわけでもなくて、ただただ、とりあえず知って欲しいなと言う気持ちが強くあります。
障害児であることを説明をする場面はほとんどの場合、娘を見てあれ?と感じていたり、話かけても会話にならずにあれ?と不思議な感じになっている場面だからです。何なら「何だ?この子は…」と思われてしまうこともあるからです。
行動をしばらく見ていれば、同じくらいの歳の子を持つ親なら、言葉も喋ることはほとんどないし、落ち着きなく動いているのですぐにわかるだろう…と思っていましたが、実際はちゃんと説明しないと他人の子のことは、そもそも興味があまりないし、わからないもんなんだなと…
ただ、自閉症スペクトラムと言う障害を自分自身、最初は甥っ子の存在がなければ、やっぱり、知らなかったし、成長すればきっと良くなるし、普通になる…と思っていました。
その後、自分にも娘が産まれて自閉症スペクトラム、ADHDと診断されて、ようやく自分も理解した所なのだから、周囲にいなければ当たり前なのかもしれません。
以前は「障害があるようには見えない」と言うセリフに対して、イライラしたり、「イヤイヤイヤ…とっくに診断済みだし…何なら次でBからAだし…」と言う気持ちになったり、その反面でどこかそんな風に言われることを待っていたり、どこかで救われる言葉として喜んでしまっているようなメンタルも不安定でグラングランの自分もいました。
今も尚、「そうですか?でも、実際に自閉症なんですよね🙇」みたいな当たり障りのないような言葉を返しています。
世の中には、もっと重い障害のある方も沢山いて、車椅子が必要な人や病院で寝たきりの方もいます。そう言う方々やその家族の方々からは、見た目で判断されない、わからない軽い障害であるのに、何を言っているんだ?って話かも知れません。
でも、そう言う方々も居ることを理解した上で何て言ったら良いのか?まだ、自分には今ベストな解答が見つかっていませんが、答えた後に後悔しないような言葉が自然と出てくるような人間になりたいです👣
綺麗事でも使い古された定番の言葉でも良いから自分が納得出来るようなのがいいな…
こんな、まとまりのない何が言いたいかわからない文章を書いてるようじゃ、まだまだ見つかりそうにないな😢それでも探さないと👣
親が他人や周囲の視線を気にしないようになるには?
この時期に裸足になって海に入ってビショビショになって遊んでいたら、当然、周りの子供だけでなく大人からの視線は集まります。
「こんな寒いのに親は何をしてるんだ?」というものから、「子どもは元気でいーねー」的なものもあれば、同じくらいの年齢の子どもは自分の親に対して「あの子はありなの?」的なものもあります。
もちろん、それを見て見ないようにしている人もいれば、子どもに「風邪を引くから」と我慢をさせている人もいます。
視線を感じないわけではないし、話をしている声が聞こえないわけではありません。
ただ、自閉症スペクトラムの娘の所謂、「普通ではない」、「常識的に考えて、ありえない」行動に対しての他人の視線や声には年齢とともに親も慣れてきています。冷たい、嫌な場面もあるけれど、そういうのにも、良くも悪くも慣れてきています。
だからと言って、他人を全く気にしない!とか自分家さえ良ければ良いという感じではなく、誰かに迷惑を掛けてしまわないように、嫌な気持ちにさせないように最大限の注意は払うようにしています。
ただ、冬に海に入ったり、裸足で浜辺を走り回ったりすることは、常識外ではあっても「絶対にダメなこと」ではないはずです。
他人の目を気にしたり、常識に囚われすぎて本当は悪いことではないことも、やる前に注意して、無理矢理辞めさせてしまう事が今もなお、自分はよくあります。
その度に、親が子供の可能性を潰してしまったり、ストレスを与えてしまっているかもしれないと思うと判断が難しくなってしまいます。
そんな時は、本当に親バカでどうしようもないですが…
「うちの子は天才」「この才能を理解できるのは自分しかいない」と思うようにしています笑
どっちにしても、これから成長と共に見た目の年齢と行動が伴わない娘はもっと世間から冷たい視線を浴びる事になってしまうでしょう。
そんな時にも、側でしっかりと負けないように暖かく見守ってあげれるようになりたいです💪
他の普通の子と比較しているのは発達障害の当事者ではなく親や周囲の大人
この時期になると同じ療育センターに通っている子供同士でも、「誰々は普通級」「誰々は特別支援クラス」「誰々は養護学校」とか色々な噂が飛び交います。
自分も含めて成長を並べて比較しているのは親や周囲の大人たちです。
うちの自閉症スペクトラムの娘は、同じクラスの子が来年度どこの学校に行くかなんて全く興味がないですし、離れる事さえ今の所は理解できていないでしょう。
ましてや周りの友達と自分を比較して「羨ましい」とか「私だけ…ない」とか「あの子だけずるい」とかまで考えているとは思えません。
友達が遊んでいる玩具に対して「あれが欲しい」とかはあったとしてもです。
進路についても娘自身が「あの学校に行きたい」とかは結局、行ってみない事にはわからないのです。
そんな中で、結局、周囲の子供と自分の子を比較しているのは親です。
自閉症スペクトラムと言っても幅広いので何とも言えませんが…
周囲の子供の進路の情報が入ってくるたびに、頭のどこかで、誰かと比較している自分自身が居ました。
障害の重さもそうだけれど、比較すれば本当にキリがありません。
誰かとどうしても、心のどこかで並べて比べてしまうのです。
都合よく、自分の子が下になると「他人と比べない」「差別されたくない」と被害者ぶるようになります。
恐らく、そんなことは微塵も思っていないし、考えてもいない娘を抱きしめていると、いつの間にか抱きしめられているような気持ちになることが何度もあります。
そういう気持ちに鈍感で、今までそんな風に生きてこなかった自分でさえ、そんな時間があるのだから、
きっと世の中の障害児の親で同じような感覚を知った人は少なくないのではないでしょうか?
何か文字にするとよくわからないけれど、本当に純粋無垢な子に嫌な大人の汚い感情が癒されたって言うバカ親の戯言です…
情報ばっかりで頭でっかちにならないように
最近、ネットとかSNSとかで検索して調べ物をしてわかったような気になっている自分がいたから、全部を鵜呑みにしないように自分に注意をする意味でも、書いておこうと思いました👣
知識や一例としては知っておくのは大切だとは思うけど、発達障害や自閉症のこういうタイプは絶対こうだとか、こうすべきだとか…
やっぱり、何回か試しみないとわからないことばかりです☺︎
試してもみないで、前例にただ当てはめるだけは、出来るだけ辞めるように気を付けようと思いました。
それは結局、「このタイプは普通はこうだから」という枠に当てはめて比較してるのと一緒で、他の事例や前例と違うのが不安なのかも知れません。
全く誰とも比較をしないというのは、簡単にはできなくて、すごく難しいけれど、
誰かと比較しても、されても、それを受け入れて一つの考えだと感じられるような器のデカさが欲しいです☺︎
ちょっとの成長を家族が見逃さないようにしたい
前より、娘は笑うことが増えました☺
たまに、親でもよくわからないことでよく笑っているけれど👣
以前と比較すると、本当に笑顔が増えています☺
もちろん、楽しみ方は人それぞれだし、前も本人なりに楽しんでいたんだと思うんだけれど…
それでも、明らかに感情がわかりやすくなってきています☺
やっぱり、笑っているところを見ると嬉しくて、色々なことを許しそうになってしまいます👣
ほんの少しの成長でも気が付けるようになりたい
毎月、一回は実家に帰って、自分の家族と甥っ子たちと過ごす♪
小学一年生になった双子も、年中の三男もすごい成長している♪
四月に誕生日プレゼントでゲットしたインラインスケートで当たり前のように、けっこうなスピードで走り回っていました👣
ローラースケート場に行こうなんて軽く誘ったけれど…
よく考えたら、インラインスケートを自分も履いてしまったら、追いつけない。
普通のスニーカーでなら一緒に走れるけれど、自分も履いたら確実に甥っ子よりも下手くそです…
既にもう置いてかれてしまうような気がしてならない…
自分のうちの子は毎日、一緒に居るからちょっとの成長には気づけないことも沢山あります。
今は療育センターや親子教室、一時療育でちょっとずつ成長している気が親ながらしていたけれど、
人に言われて実感できることも沢山あります☺
実感というか、安心なのかもしれません☺
今、自分や妻がこうやって発達障害の娘に対して、ポジティブに向き合えていられるのは、
妹夫婦と甥っ子たちのおかげです☺
実家に帰るたび、毎回、勇気づけられるし、情報も貰えます👣
何よりも、やっぱり近くにメチャクチャ素敵な家族がいるということが自分にとって、ちょっとではなく本当にパワーになることです☺
甥っ子が授業中に書いた落書き(と言ったら失礼かもだけれど)は、すでにノートが何冊にもなっていました♪
ママには怒られるかもしれないけれど、何も考えずにあれくらいの量を書けるのは本当にすごいことです☺
もう一人は、クラスで日直をやったりもしているそうです☺
三男はなんか顔立ちが既に賢そうです☺
周りから見たらちょっとの成長なのかもしれないけれど、自分にとっては本当にすごいスピードで成長しています☺
難しい?同じ自閉症児に会った時の親への話しかけ方
先日、娘達を連れてスケートパークに出掛けた時、長女と同じくらいか、もう少し大きな女の子がいました。
娘達と同じくインラインスケートをやっていたので、その女の子と話すタイミングがあったのですが、ちょっと話をしてみると明らかに、娘と同じ匂いというか、空気感を持っていました。
その女の子は会話も出来るので、うちの娘よりもより障害かあることはわかりにくいのですが、これまで自閉症スペクトラムの子どもを何人か目にしてきたので、何となく持っている雰囲気で障害児であることはわかりました。
質問の返答や、同じ言葉を繰り返す感じで判断しました…
こういう場面は過去にも何度かあるのですが、話しかけるべきか、辞めておくべきか、かなり迷います。
その女の子のお父さんも、うちの娘の行動を見ればすぐに自閉症児であることに気づいているでしょう。
それでも、やっぱり話しかけることは出来ませんでした。その理由は、何て声を掛けたらよいか?わからなかったからです。
何となく自閉症スペクトラムであろう同じくらいの子どもを見ると勝手に仲間意識を持ってしまいます☺︎
「もしかして、自閉症ですか?」なんて、その子が自閉症であるだろうという確信があっても中々、声を掛けることは出来ませんし、もし、違った場合どうしようもないことになります。
そうなってくると、中々、声の掛け方が難しいのです😭
お互い意識はしているのに、丁度良い感じの言葉が見つからないのです。
同じような場面で、自閉症児の親達はどうしているのでしょうか?
なんだかんだで、話をしたくない親御さんも居るだろうし、とりあえずその場はスルーしとくのが一番安パイなんでしょうか?
隠しても周りにはバレている?
特に公言しているわけではないけれど、我が家では妹の方は普通の幼稚園に通っていて、当然、お姉ちゃんのことを聞かれたら普通に「療育センターに通っている」と答えています。
年子なのに同じ幼稚園に居なければ、周りは違和感を感じたり、その理由が気になるようです。
それは妹ですら不思議に感じているのだから当たり前のことです。
ほとんの人がその回答を聞けば、「あっそういうことなんだ…」と納得します。
それでも、そもそも療育センターの存在を知らない人も中にはいます。
自分だって、娘が自閉症スペクトラムでなかったら知らなかったわけですし、自分の周りに障害がある人が居なかった一生知らずに過ごす人もいるのかもしれません。
幼稚園のママの中には、「誰々ちゃんはいつも何曜日いない」となったり、「誰々君が療育センターのバスに乗っていた」と言う話が大好きな人たちもいます。
当然、うちの妹の幼稚園の間でもお姉ちゃんは療育センターに通っているという話は知っている人も意外と多いようです。
最初は、「そんなに人の家の子供なんて興味ないでしょ?」と思っていました。
しかし、実際はそんなことなく思っている以上に他人の家の子供に興味があるのです。
更に言えば、それが幼稚園のクラスの中で馴染めていなかったり、他害行為などがあるタイプの子供であれば、ほとんどが療育センターに通っている子だからという空気感になっています。
逆に言えば、我が子を療育センターに通わせている親であれば、当然ながら他人の子供の行動にも「おやっ?」と気が付くこともあります。
バレたくなくて隠していたりしても、自閉症スペクトラムの子の育児をしている親なら大体わかります。
まだ6年間しか経験はなくてもわかるのですから、先輩方や先生たちの眼はきっと誤魔化せないでしょう。
告知をしてもしなくても、障害を認めても認めなくても、どっちにしろ自分が思っている以上に見られているというようです。
どっちにしても、周りのことはあんまり気にしないという能力を鍛えていこうと思います♪
発達障害なの?自閉症なの?娘の障害の説明がややこしい…
娘の障害を説明する時にややこしいのが、発達障害と言ったら良いのか、自閉症スペクトラムと言ったら良いのか、知的障害なのか…特に障害児と接点がない人にはもちろん、障害児と係わる人ですら統一感がありません…
さらに言えば、最近はメディアでも発達障害という言葉は頻繁に取り上げられるようになっています。
そのせいか発達障害と言うと、比較的、普通の生活はできると思われてしまいます。世の中的には、発達障害という言葉はそんな傾向になりつつあるのかも知れません。
特に大人になるまで発達障害がわからなかったケースなんかで紹介されていると、普通に大学を出て就職もして働いている人もいます。
そんな人と比較すると、重度知的障害で特別支援学校、養護学校に行く娘と同じ発達障害でもかなり幅広いものになっているのです。
逆に、娘は自閉症や知的障害と説明すると障害児としてすぐに認識してくれるパターンがほとんどです。
発達障害よりも、障害と言うイメージが強いのかも知れません。
結果的に何が言いたいかと言うと、発達障害と言う括りで説明するのは誤解が生じてしまうことがあると言うことです。
社団法人日本自閉症協会はの報道機関で働く皆さんへ向けての「メディア・ガイド」
自閉症スペクトラムを隠さずに伝えた方が良い場面もある?
見た目では、すぐにはわかりにくい障害の自閉症スペクトラムの娘は色々な場所で好意で話しかけて貰える場面が多々あります。
また店員さんや係員さんが普通に何も知らずに声を掛けてくれることがあります。
しかし、娘は完全にシカトしてしまったり、ちらっと見ることもしないこともあります。
そういう時に娘の近くに居られるときは、できるだけ障害の説明をするようにしています。
その瞬間だけのことですが、やっぱり「無視された」「愛想がない」と言う風に相手に感じて欲しくないからです。
赤の他人だったとしても娘がネガティブなイメージを持たれるのは、やっぱり嫌です。
もちろん笑顔を返せたり、何か言葉を返すことができれば話は別ですが…今はまだそれはできないので、
親が出る幕?かどうかはわからないですが、我が家では出来る限り伝えるようにしています。
見ず知らずの人に伝えるべきではないとか、言ったからといって全てが許されるわけではありません。
それでも、好意的に娘に話しかけてくれる人に関しては
だから?ふーん?などで会話が終わることは、不思議なことにこれまでほとんどありません。
自閉症スペクトラムと言う障害があると知った上で優しく接してくれる方がほとんどです。
過去には、「ごめんなさい」とか「気が付かなかった」という言葉もあります。
自分も娘に障害がなかったら、自閉症スペクトラムをそんなに知らなかったし、同じような返事になってしまっていたでしょう。
だから、自分勝手な考え方かもしれませんが、そういう人に知ってもらえるという意味でもこの瞬間は貴重な時間なのかもです。
自分の子の障害の特性を誰かに説明すること
娘の障害の特性やこだわり、できることやできない事を細かく考えて、特別支援教育総合センターに提出する書類を提出しなくてはいけません。
その際に、自閉症スペクトラム、ADHDの娘の良い部分よりも悪い部分にフォーカスして細かく特性を記していきます。
履歴書とかとは逆で、万が一の時のことや何か起きてからでは遅いので、考えられる悪い面を全部記載していきます。
これから先こう言う書類をもっと提出しなくてはいけないことはあるかもしれませんが、正直、あまり良い気分ではありません。
それでもポジティブに考えると娘の障害の特性や悪い部分を包み隠さず、誰かに伝えることで少しすっきりする部分もあります。
そして誰かに娘の障害の事を説明する度に、自分は障害児の親であることを再確認していくことになります。自分ではとっくにその覚悟や心構えはできているつもりになっていても、まだまだ、心が全く動かないってことはありません。やっぱり、相手ありきだし、相手の反応によってはありません。
いつか何も感じずに、当たり前になる日が来るのでしょうか?まだ、今の所、そんな風にはなれていません。
そんな風には見えないね?とか、大変だね、かわいそう、とか色々なリアクションがあるけれど、一々気にしなくなったのは成長なのかな?
ただ、誰かに娘の障害や特性の説明をする時にもっと上手いことできたらなぁとは常に考えてはいるけれど、なかなか良い言葉がないので、せめて娘が関わる子ども達には上手く伝える言葉を探したいと思います👣
敢えて他人には障害を隠さずに伝えたほうが良い場面がある
子どもの発達障害を隠している、もしくは、隠していきたい人は、思ってる以上にたくさんいます。
それは、それぞれの家庭の親の考え方だし、子育てだから、正解なんてないんだと思います。
自分だって、敢えて全てを自分から発信しているわけでは無いし、説明をしなくても良い状況で敢えてすることはありません。
それでも、娘が発達障害であることを敢えて伝えた方が良い場面もあると思います。
伝えないと、相手に勘違いや間違えなど、誤解を生むことがあるからです。
先日、娘の自転車を購入しに自転車屋さんに行った時に、セッティングを待っている時間がありました。
店内を走り回る娘を見て、温かく見守って下さったのですが、「女の子でも、あんなに元気な子がいるんですね、ウチにも同じくらいの男の子がいるんですけど…」という話しになりました。
「女の子、やっぱりいいですね」的な感じの内容です。
下の妹は、挨拶をされたら恥ずかしながらも対応してたので、ドラえもんのシールを貰いました。
お姉ちゃんは、挨拶をされても無視と言うか、走り回るのに夢中だったので、気にも留めない感じでした。
けして、娘にも悪気は無いのに、やっぱり、そこで何も伝えないと、相手に嫌な思いもさせてしまう事があります。
そこで、娘が発達障害であることを伝えると、店長さんも驚いて、もう一度、わかりやすく挨拶してくれました☺︎
自転車のブレーキの事も、本当に詳しく丁寧に教えてくれました。
一言、初めて会う見ず知らずの相手でも、今は、まだちゃんと説明できない子どもの代わりに、親が発達障害を伝えることで、自分や子どもだけでなく、相手もよくわからない感じで終わらないで済むことがありました。
全てが、こう言う行動で解決されるわけでは無いし、状況や相手によって反応も違うとは思います。
それでも、隠していたり、伝えないことで嫌な思いをするのは、自分だけではない場面もあると思います。